映画「耳をすませば」のモデルになった聖蹟桜ヶ丘を歩いた記録です。ただし、後述の耳丘は私有地ですので無断で立ち入ることはやめた方が良いと思います。このページはそれを推奨するものではありません。反省(一御)
耳をすませばを初めて見たのはずいぶん前になる。それから幾度となく見ているのに見終わると良い話だったと思える。少女マンガの王道を行く話であり、それ以上にその舞台となる街が素敵なのだ。
耳をすませばであったからこそ、そこへ行ってみたいと考えるようになったのは自然なことなのだと思う。
2002年の年の瀬。ふとその舞台に行こうと思い立ち、散歩の達人であるKampeitaさんに道案内をお願いすることにし、幸いなことに快く引き受けてもらうことができた。
翌日、18切符を購入。(\11,500-)
こんな年の瀬、もちろんムーンライトは満席。1ヶ月前に売り切れるのだから前日に行って空いているわけがないのだ。折しも東京方面はコミケなるイベントが開催される日(に間に合うムーンライト)であったため、その時点で増発臨時列車の地獄絵図が頭をよぎっていた。
以下、耳丘にたどり着くまでのお話。

12月28日。浜松駅1時12分発、臨時大垣発東京行き。
そのほんの9分前のムーンライト全席指定が羨ましすぎる臨時列車決定組の一御である。
ホームはもの凄い寒さ。時折JR貨物が地響きを立てながら通過するくらいで、ムーンライトとその次の臨時を除けば既に通常の運行は終了している。

天国と地獄が分かれる瞬間。ムーンライトのチケットを持った者だけが自分のイスを確保できるのである(既に誰かが座ってるコトもあるけど)。
数分後、ホームに残ったのは臨時列車決定組の面々。
1時10分過ぎ。時間通りに臨時列車がやって来た。
臨時列車は予想を遙かに上回る地獄の様相を呈していた。
イスはもちろん、通路に人が詰まっている。出入り口にも人が詰まっている。座って寝ていることもあって余計に狭くなっている。大半はコミケに行くであろうと容易に予想できる服装、アイテム、装飾である。
そして、真冬だというのに室内は蒸し暑い。その上臭い(汗)
周りの人は一御の事もコミケ組だと思ってるんだろうなあ、などと考えながら立ち乗り。
途中で何も知らないで乗ってきたであろうオジサンが愚痴っていた。
「何でこんなに混んでるん…?」
「えらい電車にのっちまった…」
30分、1時間、1時間半、2時間、2時間半…
東京が近づくにつれ車内は少しづつ話し声が聞こえるようになる。あるグループのリーダー的存在であろう人の会話に耳を傾けてみる。と、…予想通りというべきか話している内容が痛い。徹夜明けでテンションが高かろうが何だろうが、一御から見ても痛い話ばかりである。こっちが聴いていて呆れてしまう。
人のことは決して言えないが、それでもこの人は同じ場所にいながら住んでる次元が違うのかもしれない。自分に陶酔しているような話し方しかできない。自分が痛い人間だなんて微塵も考えてはいない。
でも、それでいいらしい。それがその世界なのだろう。
そんなコミケ組のバカ丸出しの会話(もちろんこういうのは一部の人間だと思いますよ)に耐えられなくなった頃、アナウンスが入り、横浜から各駅に停車するようになった。

4時25分。川崎駅に到着。実に3時間20分も立ったまま身動きがとれずにいた。ここで、地獄の様相を呈していた臨時列車ともお別れ。
南部線に乗り換え、分倍河原駅まで43分。
まだ外は真っ暗。こんな時間の電車にもちらほらとコートを着たサラリーマンの姿もある。スポーツ紙を読む人。うとうとしている人。まさかこんな時間に自宅に帰る人ではあるまい。
吊革の下がっているポールにぶら下がっている人もいた。
5時29分。分倍河原に到着し京王線に乗り換え。目指す聖蹟桜ヶ丘はここからほんの2駅である。
耳丘リポート - 「耳をすませば」の舞台散策 #2 へ続く
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