タイトルに反して仕事にならない修理・改造・破壊記事を書くジャンクなblogです。

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    2002年12月31日火曜日

    耳丘リポート - 「耳をすませば」の舞台散策 #4(余談)

    昼食後、京王に乗り一路秋葉原へ。
    秋葉原への電車内でもずいぶんとkampeitaさんとだべった記憶があるのに何を話したのだろうか。
    いつのまにか地下鉄になっていた電車から降りると、そこは外神田の秋葉原。
    田舎モノの一御には十分すぎるカルチャーショックを与えてくれた。電車がなんて所に通っているんだ。わけわからんぞ。電車があんな空中に通ってても大丈夫なものなんですかね。地震来たら崩れるだろうなあ。こんなの見たら大須なんかへでもないなぁ。さすが秋葉原だなぁ。変に感心するコトしきり。

    既に限界を越えている足を引きずりながら秋葉原を駆け回る一御と相変わらず健脚のkampeitaさん。
    当たりが薄暗くなってきてあっという間に夕方。
    何となく欲しかったモノとして、DELLのSocket370なi815Eマザーを2種。ミネベアの335W電源2台。うむ、良い買い物をした(と思っておこう)。DELLマザーについてはまたの機会に書くかも。
    kampeitaさんはPCカードなLANを買ったようだったけれど、後日談では動かなかったらしい。残念。kampeitaさんもミネベアの電源を購入していた。

    重い荷物を引きずりながら、夕ご飯。
    SEGAの赤いゲーセン近くの松屋でカレー。めちゃくちゃ辛かった。
    あまりにも辛かったので半分ほどkampeitaさんに食べてもらった。あのときの朦朧とした記憶では、辛かったこと以外はさっぱり覚えていない。

    秋葉原から立体的なJRの駅を上り、…どーやって帰ったんだ?
    電車の車内で色々とくっちゃべって、いつのまにやらJR御殿場線某駅。ここでkampeitaさんとお別れ。

    沼津からJR東海道線。ぼけー。うとうと。ぐーすかぴー。
    草薙駅まで迎えに来てもらって、清水の親戚宅に転がり込んだのは22時過ぎ。浜松まで帰るのはしんどかろうと予想して泊めてもらうのを頼んでおいて正解でした。
    夜食をご馳走になり、長い長い1日は終了。
    さすがに疲れてると記憶がさっぱりないものである。

    その後……
    翌日、その親戚宅で一御はパソコン指導。
    指導後、近くの公園にいくことになった。春になればそこも桜がきれいな場所なのだそうだ。真冬見たのは雪化粧した富士山と枝桜。春にまた来てみたい。



    夕方、重い荷物を引きずって再び東海道線に乗り、浜松へ。

    これからも、たまには多摩に行くことにしよう

    2002年12月30日月曜日

    耳丘リポート - 「耳をすませば」の舞台散策 #3



    耳丘後編。12月28日、早朝午前6時。




    早朝の張りつめた静けさが薄らいでいくのが分かる。一人で耳丘に登ったは良い物の、いつまでもここにいたら凍え死んでしまいそうだ。あまりの寒さに手は悴み、デジカメも寒さに悲鳴を上げて動作が鈍い。耳丘を後にし、聖蹟桜ヶ丘駅に戻ることにした。




    作中で図書館のある場所には桜公園がある。その公園から下側の眺め。



    通勤する人に混じっていろは坂を下っていくと、50ccのバイク乗りがふたりで下り勝負をしていた。けたたましい排気音と共にいろは坂を下り、しばらくしてまた登ってくる。2ストエンジンがうるさくて排気も煙たいことこの上ない。ちょうどいろは坂を下りきった橋にある信号がゴール地点のようだ。勝負の途中で邪魔だからと言って4輪を煽るのはやめましょうね、お二人さん。
    信号で止まりきれずにぶつかりかけていたそのバイクを尻目に、橋を渡った川の反対側から耳丘を眺める。成る程、川向かいから見ると造成地の斜面が一望できてわかりやすい。



    耳丘は実に見晴らしの良い場所にある。もちろん丘の下から見てもその様子がよく伺える。真っ昼間に耳丘に行って眺めていたらとても目立つだろう。



    川の土手をゴールデンレトリバーを連れて散歩している人がいた。ここは良い散歩コースなのだろう。水面に朝焼けが映えて美しい。今日は良い天気になりそうだ。



    橋に戻り駅方面へ歩く。いつのまにか、通勤する人がぞろぞろと歩くような時間になっていた。



    駅前に戻ってきたら、駅前のケンタッキーではカーネルが暇そうにしていた。待機しているときでさえ臨戦態勢なのがステキだ。残念ながら開店は10時。このまま2時間ほどで街頭へ出され、仕事を始めるのだろう。

    くるくるくるくる、京王デパートの周りを何周かして一向に暖かくならないままやっと7時になった。朝ご飯を食べることにして再び食べ物やさんを探して歩き回ると、程なく吉野屋を発見。

    牛丼大盛りとけんちん汁を注文する。ちょうど座った場所は厨房が見渡せた。店員さんの手際を見ていると、てきぱきとレトルトパックを破いてお椀に注いだのはけんちん汁。けんちん汁はレトルトパックなのかぁ。どこで食べても同じ味なのは当然なのです。
    ぱくぱくと食べ終えてお金払ってから、外の寒さを思い出した。…外出たくない…。もっとゆっくりのんびり食べるべきだったなぁ。

    kampeitaさんが合流するのは9時らしい。まだあと1時間半あるのだ。それにしても寒いぞ。
    朝焼けを見られて良かったものの、やっぱり早く来たのは間違いだったかも知れないと、そんな後悔をしながら京王デパートの周りをまた廻る。立ち止まっていると寒さで寝たら死ぬぞ状態なのだ。

    そうこうしているうちに吉野屋で回復した暖かさはどこへやら。マズイ、こりゃ風邪引くかもしれない。京王デパートの周りでは各店舗が開店準備をしているので、みんな忙しそう。これだけ何周も廻ってれば怪しい人と思われてるかも。ちょうど駅の券売機の横のドアと壁の間に風がしのげる場所を発見して、そこに寄りかかってぼけーっとする。これじゃホントに怪しい人だ。寒いのは分かっていたけれど、この時期に実行したのは無謀だったかもと思い始めた。

    そんなこんなでやっと9時。そろそろkampeitaさんが合流する。やっと開いたデパートの1階の通路は風が来なくてよい場所だった。その場所に別れを告げて打ち合わせした駅の出口向かって左側に立った。
    誰なんだろう、と通る人を目線で追いかけながら10分程経過した9時15分過ぎ。kampeitaさん無事合流。一時はどうなることかと思ったけれど、これでやっと一安心だ。
    kampeitaさんは想像通り非常に人当たりの優しい感じの人だった。ただ、後日チャットで伺った所によると恐い系の人を決め込んでいらっしゃったそうな。

    話をしつつ、駅前を離れて再びいろは坂を登り桜ヶ丘へ。





    耳丘へ入る柵の反対側から。畑があり学校があるのどかな風景。少し遠くの方にはマンションが乱立しているのが見え、遠くには霞がかる。その反対側の聖蹟桜ヶ丘駅周辺を一枚。耳をすませばとは似ても似つかない開発ぶり。


    いろは坂の上にある金比羅宮を見学。いやはや、あの場所はこんな所にあるとは。金比羅宮の奥は崖になっています。それ程広い境内ではなくてこぢんまりとした感じ。
    更に登っていくと、水道局手前にこんな碑が立っている。

    “桜ヶ丘一丁目の金比羅宮(琴平社)付近を「天守台」などといい、一帯の山を「城山」ともいう。多摩川に面し、武蔵野台地を一望できる絶勝の地であることから、鎌倉幕府以来の物見台的城塞として、的を察知したり、急変を狼煙などで知らせる通信拠点であったと考えられる。一帯は関戸城跡として知られるが、今はわずかにその一部を留めるのみで、山頂は削られ地形も変わっている。”



    そのすぐ近くの階段。実に見晴らしがよい。この階段だけで絵になる。
    多摩団地の給水塔へ向かって歩くと、途中にロータリーがある。作中にモチーフとして印象的に使われている場所だけれど、スケールは全然違ってかなり大きい。

    給水塔へ行く間に、寄り道して曰くありげな神社に行く。神社というより物置小屋のように見えてしまうのだが、それなりに歴史がある建物のようだ。
    道を渡って多摩丘陵が最初期に開発された場所の地図の看板を見る。鉄板で作られたモニュメントのような看板なのだけれど、錆びて崩れるのを待っているようだった。開発が始まってからの年月を感じることができる。看板と同じく、今にも朽ち果てそうな穴だらけの歩道橋を渡って、誰一人いない早朝の公園を横目に団地へ。歩道に枯れ葉が雪のように吹き溜まりになっていて、足音がサクサクと心地よい。



    団地への坂を上りきると目の前にそびえたつのが団地の給水塔。給水塔ではあるものの、非常に目立つ特徴的な構造物だ。マイクロ波のパラボラみたいなのがてっぺんに付いていて、どこかを見ている。

    団地はどこにでもありそうなこれと言って特徴はない構造だ。月島家のある団地はここがモデルなのだとの事だ。まだ早朝だということもあってか、それ程人影はなかった。

    団地の周りには公園がたくさんあるが、どれもこの寒空では人影を見ることはできない。
    公園で唯一見かけた、なにやら運動をするおじさん。





    団地から道を下って市民会館へ。
    これ以降、疲れていたせいかどうしようもない写真しか写っていなかった。
    曰くありげな場所をせっかくkampeitaさんに案内して貰ったのに写真がないので紹介できないのが残念。

    市民会館横の細い道を、お地蔵様を横目に下る。
    ふと現れたのは、畑。
    多摩が開発される前は見渡す限りこんな畑と林だったのだろうと想像させてくれる空間。ここで、さっきまでの薄曇りの空がいつの間にか透き通った青空に変わっているのに気づいた。青空と熟れすぎた柿のコントラストがいい。ここには猿候石という石もある(漢字が違うかも)。

    余談だが、その横にあるアパートでうち捨てられたRX-DT99を見つけるも、さすがに持っては帰られなかった。勿体ないものだ。

    kampeitaさんによると桜ヶ丘周辺は合戦があったなど不幸な土地柄であるらしくいろんな鎮魂の碑が建っている。いろんな不可解な現象がある、とも。

    近くにあるお寺から抜けた場所に小さな橋が架かっている。そこを抜け、更に丘を登っていくと、公民館の裏手に出た。公民館の横を通り抜けてベンチで一休み。
    そこでkampeitaさんと何やら話したのだけれど、何を話したのだろう。覚えていない。
    普段運動の一つもしない一御は既にギブアップ気味。kampeitaさんの健脚ぶりには恐れ入る。ちっとも苦になる様子がないのが素晴らしい。半時間ほど休み、再び歩く。

    公民館から下る途中のお寺に寄り道。

    お昼近くになり、駅前に戻って昼食。幾何学造形の京王デパートに昇ってトンカツ。この時点で疲労度80%。美味しかったのは覚えているけれど何を注文したのかいくらだったのかなんてのはさっぱり覚えていない。

    ここまでで、多摩の散歩はおしまい。

    耳丘リポート - 「耳をすませば」の舞台散策 #4(余談)
    へ続く

    2002年12月29日日曜日

    耳丘リポート - 「耳をすませば」の舞台散策 #2



    5時43分。聖蹟桜ヶ丘駅到着。やっと本題に入ります。
    真夏ならそろそろ明るくなりはじめる時刻なのに、真冬の今は真っ暗なまま。
    一御の他には6人くらいのグループが駅を出ていきました。

    Kampeitaさんが来るのは午前9時。それまでどうしよ。
    ここでぼけらーっと待っているよりやっぱり行ってみよー。今なら夜景も見られるのだ。でも残念ながら真っ暗で写真撮れなかったのでそこまでの道は写真無し。まぁ当たり前ですが…

    駅を出て芸術が爆発な建物を左手に進みます。ファミリーマートを左に見て橋に続く緩やかな道を進み橋を渡り、そこからは坂道になります。
    道の左側を歩くと途中に家に挟まれた長い階段がありました。とりあえずそこを上ってみることにします。と、そこは住宅地の真ん中。ありゃりゃ。

    上りきったところを右にいくと、いろは坂の中間辺りに出てきました。少し上って2つ目のカーブの突き当たりにある階段を上り、路地を進んで突き当たりを右へ。

    おぉ。見つかりましたー。
    (って文章じゃさっぱり表現できませんな)

    確かに夜景が素晴らしい。ほけーっと見ていたら、ありゃ、さっきのグループの人達がやってきました。
    有名なだけあるって言うべきでしょうかねぇ。一御以外にもこんな所こんな日にこんな時間に来る人が居るんですから。

    その場所から耳丘に行くにはフェンスを乗り越えるという不法侵入な方法でしか行けない様子でした。
    仕方ないのでもと来た道を戻ります。耳丘に行くにはもうひとつルートがあるらしいのです。

    いろは坂を下りて坂の中間に公園がある。桜公園。
    そこの奥から上へ、急坂を登っていくと…



    こんな景色が見られます。
    (35mm相当じゃ全然広がりが出ないなぁ^^;)




    耳丘にはこんなノートも置かれています。「耳丘ノート」
    一御も訳の分からん文章を書き殴ってきました。
    寝不足&極度の寒さで支離滅裂だと思います。自分でも何を書いてきたか覚えていません。
    残念ながら、他の人の書き込みを読んでいる余裕はありませんでした(^^;

    とりあえずここまで。
    この時点で勝手に感動しちゃってもう来てよかったーとか思っている状態でした(笑)。疲労度40%。

    後編は耳丘後編+秋葉原(笑)として書こうと思います。
    肝心のKampeitaさんまだ出てきてないし。

    耳丘リポート - 「耳をすませば」の舞台散策 #3 へ続く

    2002年12月28日土曜日

    耳丘リポート - 「耳をすませば」の舞台散策 #1

    注意
    映画「耳をすませば」のモデルになった聖蹟桜ヶ丘を歩いた記録です。ただし、後述の耳丘は私有地ですので無断で立ち入ることはやめた方が良いと思います。このページはそれを推奨するものではありません。反省(一御)

    耳をすませばを初めて見たのはずいぶん前になる。それから幾度となく見ているのに見終わると良い話だったと思える。少女マンガの王道を行く話であり、それ以上にその舞台となる街が素敵なのだ。
    耳をすませばであったからこそ、そこへ行ってみたいと考えるようになったのは自然なことなのだと思う。

    2002年の年の瀬。ふとその舞台に行こうと思い立ち、散歩の達人であるKampeitaさんに道案内をお願いすることにし、幸いなことに快く引き受けてもらうことができた。

    翌日、18切符を購入。(\11,500-)
    こんな年の瀬、もちろんムーンライトは満席。1ヶ月前に売り切れるのだから前日に行って空いているわけがないのだ。折しも東京方面はコミケなるイベントが開催される日(に間に合うムーンライト)であったため、その時点で増発臨時列車の地獄絵図が頭をよぎっていた。

    以下、耳丘にたどり着くまでのお話。



    12月28日。浜松駅1時12分発、臨時大垣発東京行き。
    そのほんの9分前のムーンライト全席指定が羨ましすぎる臨時列車決定組の一御である。

    ホームはもの凄い寒さ。時折JR貨物が地響きを立てながら通過するくらいで、ムーンライトとその次の臨時を除けば既に通常の運行は終了している。



    天国と地獄が分かれる瞬間。ムーンライトのチケットを持った者だけが自分のイスを確保できるのである(既に誰かが座ってるコトもあるけど)。
    数分後、ホームに残ったのは臨時列車決定組の面々。
    1時10分過ぎ。時間通りに臨時列車がやって来た。

    臨時列車は予想を遙かに上回る地獄の様相を呈していた。
    イスはもちろん、通路に人が詰まっている。出入り口にも人が詰まっている。座って寝ていることもあって余計に狭くなっている。大半はコミケに行くであろうと容易に予想できる服装、アイテム、装飾である。
    そして、真冬だというのに室内は蒸し暑い。その上臭い(汗)

    周りの人は一御の事もコミケ組だと思ってるんだろうなあ、などと考えながら立ち乗り。
    途中で何も知らないで乗ってきたであろうオジサンが愚痴っていた。
    「何でこんなに混んでるん…?」
    「えらい電車にのっちまった…」

    30分、1時間、1時間半、2時間、2時間半…

    東京が近づくにつれ車内は少しづつ話し声が聞こえるようになる。あるグループのリーダー的存在であろう人の会話に耳を傾けてみる。と、…予想通りというべきか話している内容が痛い。徹夜明けでテンションが高かろうが何だろうが、一御から見ても痛い話ばかりである。こっちが聴いていて呆れてしまう。

    人のことは決して言えないが、それでもこの人は同じ場所にいながら住んでる次元が違うのかもしれない。自分に陶酔しているような話し方しかできない。自分が痛い人間だなんて微塵も考えてはいない。
    でも、それでいいらしい。それがその世界なのだろう。

    そんなコミケ組のバカ丸出しの会話(もちろんこういうのは一部の人間だと思いますよ)に耐えられなくなった頃、アナウンスが入り、横浜から各駅に停車するようになった。



    4時25分。川崎駅に到着。実に3時間20分も立ったまま身動きがとれずにいた。ここで、地獄の様相を呈していた臨時列車ともお別れ。

    南部線に乗り換え、分倍河原駅まで43分。
    まだ外は真っ暗。こんな時間の電車にもちらほらとコートを着たサラリーマンの姿もある。スポーツ紙を読む人。うとうとしている人。まさかこんな時間に自宅に帰る人ではあるまい。
    吊革の下がっているポールにぶら下がっている人もいた。

    5時29分。分倍河原に到着し京王線に乗り換え。目指す聖蹟桜ヶ丘はここからほんの2駅である。

    耳丘リポート - 「耳をすませば」の舞台散策 #2 へ続く